2013年度 上智大学 法学部 国語 大問1 木村敏『形なきものの形』解説|「対象化された知」と「生きた時間」の対比から解く客観的思考手順

目次

知的な枠組みと記事の分析軸

論説文や評論文において、抽象度の高い議論を読み解く際、単語の字面だけを追っていては選択肢の精緻なトラップを見抜くことは難しい。評論文の読解で求められるのは、筆者がどのような対比を設定し、一見無関係に見える具体例や学術的概念をその枠組みの中にどのように位置づけているかという「論理の基本骨格」を客観的に捉える力である。

2013年度の上智大学法学部・国語大問1で出題された木村敏『形なきものの形』は、精神病理学における「離人症」患者の特異な体験を手掛かりとして、西洋古代以来の「形あるもの」を中心とした知と、そこから発達した科学のあり方を問い直し、人間が現実に関わりながら生きる中で実感される「形なき時間」の本質を考察した文章である。

本文を読み解く中心軸となるのは、「形があり、対象化・識別できる側」と「形がなく、生きた実感として経験される側」の対比である。筆者は、外界を客観的に識別・認識する能力(知・意識)と、それを「本当にそこにある」と生き生きと感じ取る能力(こころ・生命感覚)を明確に区別する。この区別を出発点として、時計やカレンダーで測定される客観的な時間と、人間が現在を起点として生きる持続的な時間との違いを浮き彫りにしていく。

本問の選択肢は一文が長く、本文の記述に近い表現を用いながら、一部の語句で「因果関係の逆転や捏造」「主客関係の逆転」「過剰な断定」「射程の不当な限定」を巧妙に仕掛けている。背景知識の有無に頼るのではなく、本文の論理関係と選択肢のフレーズを照合する客観的な手順が必要となる。本稿では、各設問の構造を分解し、試験本番でも再現できる思考手順を提示する。

『形なきものの形』(木村敏)の要約と論理構造

本文は、離人症の臨床的知見から出発し、科学史的省察、異文化の時間観、そして人間論へと論点を進めながら、次の5段階で構成されている。

  1. 第1段階:離人症における現実感と時間感覚の喪失(2ページ)
    離人症患者は、目の前の対象を頭で認識・理解することはできるが、それが「本当にそこにある」という実感が伴わない(意識はあっても、こころのない状態)。さらに、過去と現在の自分が心の中でつながらず、断片的な自己の層が積み重なるだけで、「今、今、今」という不連続な点ばかりが存在し、時間が流れているという実感を喪失している。筆者はここから、「自己の存在実感」と「時間の流れの実感」が深く結びついていることを見出す。
  2. 第2段階:西洋古代以来の知の特質と「形のないもの」の忘却(3ページ前半)
    西洋古代以来の文明と科学は、「それが何であるか」を識別できる形や形態(エイドス/形相)を主たる知の対象として発達してきた。しかし、筆者は、こうした知のあり方が「形のないもの」「形のない時間」を根本的に忘れたところから成立してきたのではないかと問い直す。
  3. 第3段階:アフリカの時間観「ササ」と「ザマニ」(3ページ後半)
    西洋的な科学とは異なる時間の捉え方として、アフリカ原住民の時間観について、ケニアのカムバ族出身の宗教学者ムビティが紹介する「ササ」と「ザマニ」の時間概念が取り上げられる。ササは生き生きとした現在の持続であり、生者との関係が残っている限り死者もここにとどまる。一方、生者との生きた関わりが完全に途絶えたとき、存在は永遠の過去であるザマニへと移行する。
  4. 第4段階:現実への関与の停止としての離人症(4ページ前半)
    ササの本質が「個々の人間が生きて現実に関与している事実」にあることを踏まえ、筆者は離人症患者の状態を「生きながらにして現実への関与を停止している」と規定する。患者は物理的時間・生物学的生命の中にとどまりながらも、ササという生きた時間からは隔絶されている。
  5. 第5段階:現在を起点とする時間と「見物人」としての自己(4ページ後半)過去や未来を構想する際、人間は常に現在を生きる「わたし」を基点として「まだない」「もうない」と捉えている。たとえ宇宙の創成や人類絶滅後の世界といった極限的な時間を想像するときでさえ、仮想上の「見物人」として現在の自己が立ち会ってしまう。筆者は、人間が現実に関わりながら生きている限り、その関与から完全に切り離された「時間の死」を想像することはできないと考える。

本文を貫く上位の対比構造

本文の論理展開は、以下の対比軸を基盤として整理できる。

比較軸形があり、対象化・識別できる側 PNG他 2 件形がなく、生きた実感として経験される側 PNG他 2 件
知のあり方「それが何であるか」を識別・対象化する知。生き生きとした実感を伴う知。
現実の捉え方対象がそこにあると頭で理解する(意識)。対象が「本当にそこにある」と感じる(こころ)。
自己の把握瞬間ごとの自分を認識し、断片的に積み重ねる。過去と現在がつながった自分として生きる。
時間の性質時計やカレンダーで測定される時間。流れていると実感される生きた時間。
人間・存在生命をもって物理的に存在すること。現在において現実に関与しながら生きること。
離人症患者知的認識・理解や物理的生命は保持されている。現実感・自己の連続性・時間の流れが失われている。

※ササとザマニの扱いについて:

アフリカの時間観である「ササ」と「ザマニ」は、上記の「対象化できる知/生きた実感」という左右の二項対立に直接当てはまるものではない。本文では、ササを「生者との関係・関与の中で生きられる時間」、ザマニを「生者との関係が完全に失われた領域」として対比させている。西洋的な客観時間とザマニを安易に同一視しないよう注意が必要である。

また、筆者は科学そのものを否定しているわけではない。対象を客観的に切り離して把握する知のあり方だけでは、人間が現実に関わりながら生きるという「形なき生きた時間」を捉えきれないのではないか、という問題提起を行っている。

全問解答一覧

問正答形式・条件
問一d記号選択(傍線部1「意識はあっても、こころのない状態」の説明)
問二b記号選択(傍線部2「『自分』の層が積み重なって行く」の意味)
問三d記号選択(傍線部3「内省力のある患者の場合」に関する筆者の意図)
問四a記号選択(傍線部4「人間の知の対象」に関する筆者の問題提起)
問五c記号選択(傍線部5「形のない時間」の意味内容)
問六b記号選択(傍線部6「ササ」と「ザマニ」の関係性の把握)
問七a記号選択(傍線部7「生きながらにして現実への関与を停止している」の説明)
問八c記号選択(傍線部8「見物人として立ち会っている」の意味内容)
問九d記号選択(傍線部9「時間の死」に関する反語の趣旨)
問十a・f記号選択(本文の内容と一致するものを2つ選ぶ)

【大問1】各設問の解答解説と思考手順

問一:傍線部内容説明(対比の分解)

  • 手順1(設問要求の確認)傍線部1「意識はあっても、こころのない状態と言ってもよいだろう」とはどのような状態かを問う設問である。文中の「意識がある」と「こころがない」という2つの対比的要素を本文の言葉に即して分解・照合する。
  • 手順2(根拠範囲の探索)傍線部直前の段落を確認する。
    • 「頭ではわかっているのに、それが本当にそこにあるという実感が伴わない」
    • 「音は聞こえてはくるけれども、それがこころに響かないから、まとまった音楽としての感動は出てこない」
    • 「絵を見ても、そこに何が描かれているかは理解できるけれど……美しいとも思えない」
  • 手順3(論理整理:二項の対応)
    • 「意識がある」=目の前にあるものが何であるかを識別・理解・認識する精神的営みは保たれている。
    • 「こころがない」=対象が「本当にそこにある」という生き生きとした現実感や感動が欠けている。
  • 手順4(選択肢の照合と誤答フレーズの排除)
    • a(誤答:因果関係の捏造):「経験をしても、後で色褪せた経験にしてしまう」⇒ 本文では後で言語化したために色褪せるのではなく、知覚したその瞬間に最初から現実感や感動が生じていない。
    • b(誤答:事実との矛盾):「知るとか理解するとかいった精神的活動自体がまとまりを欠いていて自己を失っている」⇒ 知る・理解する働き自体は保たれているため、精神活動そのものがまとまりを欠いているとする記述は本文と合わない。
    • c(誤答:論点のすり替え):「その認識はひたすら感覚知覚のみに依存した経験で終わっている」⇒ 本文の対立軸は「感覚知覚 ↔ 精神」ではなく、「理解できる ↔ 実感できない」である。
    • d(正答):「知るとか理解するとかなどの精神的な営みはあるが、生き生きとした現実の感触が欠けている」⇒ 本文の「頭ではわかっている」と「実感が伴わない」という二項対比をそのまま的確に言い換えている。
  • 結論正答:d

問二:比喩表現の意味把握(因果の連鎖)

  • 手順1(設問要求)傍線部2「『自分の層』が積み重なって行く」が意味する内容として最も適切なものを1つ選ぶ。比喩表現「層」を、前後の文脈における自己認識のあり方から客観的に論理化する。
  • 手順2(根拠範囲の探索)傍線部を含む一文およびその前後を確認する。
    • 「いまの自分が自分であるということは分かるけれども、いまの自分とさっきの自分とがこころの中でつながらないから、本当の自分としてまとまらないのだと言う」
    • 「ずっと自分のことを考え続けていると、次から次へと『自分の層』が積み重なって行くだけで、以前の自分はだんだん下積みになって見えなくなり、自分とははたしてどんなものだったのか、まったく捉えられなくなるのだと言う」
  • 手順3(論理整理:時間的連続性の途絶)その瞬間の自己は自覚できるが、前後の自己が心の中でつながらないため、瞬間ごとの自己が断片的なまま積み重なり、まとまった「自分」を捉えられなくなっている状態を指している。
  • 手順4(選択肢の照合と誤答フレーズの排除)
    • a(誤答:価値判断の捏造):「以前の自分は価値がないので棄ててしまう」⇒ 本文には自己に対する功利的な価値判断や投棄の記述はない。
    • b(正答):「常に現在時点での自覚意識はあるものの、それらは断片的なまま堆積し、自分とは何かを捉えられなくなっている」⇒ 「いまの自分が自分であることは分かる(現在時点での自覚意識)」+「つながらないまま積み重なる(断片的なまま堆積)」+「自分とはどんなものだったのか捉えられなくなる」という本文の叙述と完全に合致する。
    • c(誤答:結果の逆転):「堆積することで不連続な自分を作り上げている」⇒ 積み重なることで自己が形成されるのではなく、逆に統一された自分を「捉えられなくなる」のであるから、結果の方向が逆である。
    • d(誤答:価値判断の付加):「その結果は無価値な層の集まりとなり、ついには自己を見失う」⇒ aと同様に「無価値」という評価語は本文の根拠に基づかない付加である。
  • 結論正答:b

問三:筆者の考察意図の把握(目的化トラップの排除)

  • 手順1(設問要求)傍線部3「内省力のある患者の場合」について、筆者がこのような事例を取り上げて考察している意図として最も適切なものを1つ選ぶ。
  • 手順2(根拠範囲の探索)傍線部直後の展開を確認する。
    • 患者の言葉:「時計を見れば今何時何分だということはわかるし、カレンダーを見れば今日が何日かはわかるけれど、そこに時間というものが流れているという感じがまったくない」「今、今、今という不連続の点線のようなものはあるのだけれども……『いま』という実感にならない」
    • 筆者の洞察:「『自分』というものと存在の『実感』というものと、そして『時間の流れ』というものとは、人間のこころにとって結局は同じことを指しているのに違いないという気がしてくる。」
  • 手順3(論理整理:個別病理から人間一般の本質へ)筆者は離人症の治療法や医学的解明を目指しているのではない。患者の内省を手掛かりとして、「自己の存在実感」「外界の現実感」「時間の流れ」が結びついているという、「人間のこころにとって時間とは何か」という一般的な問題を考察している。
  • 手順4(選択肢の照合と誤答フレーズの排除)本問の誤答選択肢は、患者の言葉を「何らかの成果・発見・病気の解明へ目的化する」という同系統のトラップである。
    • a(誤答:功利的価値への変換):「物理学や心理学及び哲学を越えた学問的成果をもたらすことがおおいに見込まれる」⇒ 筆者は患者の内省を学問上の業績として評価しているのではない。
    • b(誤答:主体のすり替え):「患者が……更に見出だす特異な状態が、更に新たな時間を発見するに至る」⇒ 新しい時間概念を発見した主体を患者にしてしまっている。患者の言葉を受けて時間について考察しているのは筆者である。
    • c(誤答:射程の不当な縮小):「露わにすることから、離人症の解明につながると期待している」⇒ 筆者は離人症の解明だけを目的としているのではなく、人間一般にとってのこころと時間へ議論を広げている。
    • d(正答):「外的な事物への実感の喪失だけでなく、自己の内面や時間意識の実感の喪失にまで至っていることから、人間のこころを探る上で、本質的な問題を提供している」⇒ 外界の実感喪失から自己や時間の喪失へ至る患者の状態が、「人間のこころ」一般を考察する契機となっているという論旨を正確に捉えている。
  • 結論正答:d

問四:西洋的知に対する問題提起の把握

  • 手順1(設問要求)傍線部4「人間の知の対象」について、筆者がどのように考えているかを問う設問である。
  • 手順2(根拠範囲の探索)傍線部を含む第3段落(3ページ)の論述を確認する。
    • 「現在の私たちがなじんでいる『科学』は、西洋古代の文明に源を発している。西洋古代の文明とは、エイドス(形相)をイデア(本質)と見なした文明である。形のあるもの、目や耳でもって、つまりは意識にとって『それが何であるか』を識別しうるものだけが、何千年の昔から人間の知の対象とされ、そういった物象や形像についてのみ『科学的思考』が試みられてきた。」
    • 「形のないもの、目や耳では捉えられないもの、それでいて私たちが生きているという現実そのものから絶対に切り離せないもの、そういったものを根本的に忘れたところから、私たちの『科学』が生み出され、この忘却は二十世紀末の現在、ますますはっきりとその正体を現してきているとは言えないだろうか。」
    • 「新しい知の次元が模索されるとするなら、それは間違いなくこの『形のないもの』についての知の次元であろう。」
  • 手順3(論理整理:対象化の知と忘却された次元)西洋の知は「形のあるもの(対象化・識別可能なもの)」を中心として発達したが、その過程で「形のない、生きた現実そのもの」が忘れられてきた。そこで筆者は、新しい知の次元が模索されるとすれば、それは「形のないもの」についての知になるだろうと考える。
  • 手順4(選択肢の照合と誤答フレーズの排除)
    • a(正答):「西洋古代以来、知の探究は事物の形相的部分に限定されていたが、それが現実の実感から離れた科学を生んだ以上、新たな知の次元も必要である」⇒ 形相を中心とした知のあり方が生んだ課題と、新たな知の次元の必要性を過不足なく述べている。
    • b(誤答:論点のすり替え):「本質という対象は、もはや科学において限界に達した以上、科学ではない新たな知の次元とその対象が必要である」⇒ 科学が発達しきって限界に到達したことが問題なのではなく、最初から形のないものが知の対象から抜け落ちていたことが問題である。
    • c(誤答:全面否定への誇張):「過去を反省して全く別の知の次元を開き、模索しなければならない」⇒ 「全く別」という語は、従来の科学的知を全面否定する方向へ意味を強めすぎている。
    • d(誤答:因果関係の逆転・義務化):「『科学的思考』は……形の知の探究によって根本的な忘却をもたらしたから、未来に期待してむしろ新たな知の次元を目指さねばならない」⇒ 本文では「形のないものを忘れたところから科学が生み出された」とされるのに対し、選択肢は「科学的思考が忘却をもたらした」と原因と結果を逆転させている。また「目指さねばならない」という義務化も本文の慎重な論述(模索されるとするなら)より強い。
  • 結論正答:a

問五:概念の定義(「形のない時間」)

  • 手順1(設問要求)傍線部5「形のない時間」の説明として最も適切なものを1つ選ぶ。
  • 手順2(根拠範囲の探索)傍線部前後の文脈を確認する。
    • 直前:「そして私たちにとっての『生きた時間』とは、疑いもなく、この『形のないもの』に属しているのだろう。」
    • 3ページ冒頭:「ここでいう『時間の流れ』とは、時計やカレンダーで読み取る時間とは何の関係もないものだし……物理学の時間概念も、時間を意識内での継起で考える心理学や哲学の時間概念も、実感としての、あるいは自分自身の存在と密着した生命的感覚としての時間感覚とは非常にほど遠いものなのである。」
  • 手順3(論理整理:客観的時間との対比)「形のない時間」とは、時計やカレンダーで測定される時間ではなく、人間が「生きている」という生命的な実感・存在感覚によって支えられている時間である。
  • 手順4(選択肢の照合と誤答フレーズの排除)
    • a(誤答:不当な限定):「西洋文明や科学に汚されていない地域でのみ生き続けている非科学的な時間」⇒ 本文では非西洋地域の例が挙げられているだけであり、「そこにしか存在しない」と限定しているわけではない。
    • b(誤答:科学の全面否定):「科学的な思考を否定して、眼や耳では捉えられないものを大切にしようとする時間」⇒ 筆者は科学的思考そのものを否定しているのではない。
    • c(正答):「本質によってではなく、生きているという実感によって支えられている時間」⇒ 対象化された本質(形相)ではなく、「生きている実感」に根ざしているという本文の定義と完全に一致する。
    • d(誤答:射程の縮小):「エイドスをイデアと見なさない文明で成立した時間」⇒ 特定の文明だけに成立する時間として議論の射程を狭めている。
  • 結論正答:c

問六:比較概念の把握(「ササ」と「ザマニ」)

  • 手順1(設問要求)傍線部6「『ササ』と『ザマニ』」について、筆者がこの二種をどのように捉えているかを問う設問である。
  • 手順2(根拠範囲の探索)3ページ下段の記述を確認する。
    • 「『ササ』は、生き生きとした現在の持続の中で捉えられた事柄に与えられている時間態であり、」
    • 「『ザマニ』は『無窮の過去』あるいは『あらゆるものを溶かし吸収する大洋、万物の貯蔵庫』で……知己の最後の一人が死んだときには『ザマニ』に入って完全な死者になる」
    • 「このように、『ササ』を『ササ』たらしめている……のは、これに関係する個々の個人が生きていて、それに関与しているという事実である。生きた関与者がいなくなれば、『ササ』も『ササ』ではなくなる。つまりはそこに時間が流れなくなって、永遠の『ザマニ』が開ける。」
  • 手順3(論理整理:生きた関与の有無による境界線)ササとザマニの境界線は、単なる生者と死者の区別ではない。死者であっても生きている人との関係や記憶が残っている間は「ササ」に属する。生者との生きた関係が完全に絶たれたときに、存在は「ザマニ」へと移行する。
  • 手順4(選択肢の照合と誤答フレーズの排除)
    • a(誤答:事実との矛盾):「『ザマニ』は死者となった人が直ちに向かわねばならない無窮の過去である」⇒ 死後も生者との関係が続く間はササにとどまるため、「直ちに向かう」は本文と矛盾する。
    • b(正答):「『ササ』は生きいきとした時間が流れる生者の領域であるのに対して、『ザマニ』は生者との関係を断った恒久的な存在の領域である」⇒ ササを生きた関係の領域、ザマニを生者との関係が絶たれた恒久的な領域として的確に対比している。
    • c(誤答:論点のすり替え):「生きた個人が関与しても無意味となる永遠の領域である」⇒ 本文は関与が「無意味」だと述べているのではなく、関係があるかないかを問題にしている。
    • d(誤答:論理矛盾):「『ザマニ』は生者と断絶した時間の流れである」⇒ 本文では生きた関与者がいなくなることで「時間が流れなくなって」ザマニが開けるとされており、ザマニを「時間の流れ」とするのは本文と矛盾する。
  • 結論正答:b

問七:文脈における比喩的命題の解釈

  • 手順1(設問要求)傍線部7「患者は生きながらにして現実への関与を停止しているのである」の説明として最も適切なものを1つ選ぶ。
  • 手順2(根拠範囲の探索)傍線部直前の文脈を確認する。
    • 「先に述べた離人症の状態では、患者の意識は科学のいう時間の中にとどまっているのに、患者のこころは『ササ』から隔絶されている。」
    • 「患者は生きながらにして現実への関与を停止しているのである。」
  • 手順3(論理整理:生命の存続と生きた時間の解離)離人症患者は、時計で測れる物理的時間の中に存在し、生命を保っている。しかし、現実を生き生きと感じ、事物と関わりを持つ「ササ」からは切り離されている。すなわち、「物理的に生きていること」と「生きた時間を生きていること」が区別されている。
  • 手順4(選択肢の照合と誤答フレーズの排除)
    • a(正答):「患者は物理的な時間のうちに生命をもって生きているとしても、決して生きた時間を生きているわけではない」⇒ 物理的時間の中での生命の存在と、生きた時間の喪失という対比を正しく説明している。
    • b(誤答:過剰な否定):「『ササ』には所在しない以上、生きているとは言えない」⇒ 傍線部に「生きながらにして」とある通り、生命そのものは否定されていない。
    • c(誤答:因果関係の捏造):「科学という本質を追究する時間の中に居るからこそ、科学と同様に現実の関与から離れ去っている」⇒ 患者が科学的思考をしているから現実への関与を失ったという因果関係は本文にない。
    • d(誤答:概念の同一視):「『ザマニ』という科学の時間の中で生かされているにすぎない状態にある」⇒ ザマニと科学的時間は異なる文脈の概念であり、同一視できない。
  • 結論正答:a

問八:比喩表現「見物人」の逆説的機能

  • 手順1(設問要求)傍線部8「見物人として立ち会っている」とはどういうことかを問う設問である。
  • 手順2(根拠範囲の探索)傍線部を含む段落を確認する。
    • 「未来にしても過去にしても、すべて私たちが生きている現在における『ある』から見られた『まだない』であり『もうない』なのであって、そこには必ず生きた『わたし』が立ち会っている。」
    • 「物理学は、時間のこの不可逆性を説明しようとして『ビッグバン』という壮麗なドラマを考えたが、奇妙なことに時間のそもそもの始源であるはずのこの大爆発を考えるとき、そこには必ず仮想上の『わたし』が、見物人として立ち会っている。」
    • 「だれ一人として人間の立ち会わないような出来事を、ひとは構想することができないのである。」
  • 手順3(論理整理:主客関係の逆転の看破)ここでいう「見物人」は、自己を切り離した「客観的観察者」ではない。人間は、自己が存在しないはずの過去や未来を考えるときでさえ、現在を生きる「わたし」という主観的な視座を不可避に関与させてしまう、という自己関与の構造を示している。
  • 手順4(選択肢の照合と誤答フレーズの排除)
    • a(誤答:主客関係の逆転トラップ):「実際は、宇宙の始源を見物することはできないが、客観的観察者として立ち会う想定はできる」⇒ 本文は客観的観察が可能だと言っているのではなく、むしろ現在を生きる自己の生を切り離すことができないと述べているため、論理が逆である。
    • b(誤答:論点のすり替え):「時間は不可逆なものであると思われがちであるが、実は可逆性もあると考えねばならない」⇒ 時間の物理的性質としての可逆性を主張しているわけではない。
    • c(正答):「人間とは時間的な存在であり、どんな出来事にも自己の今の生を関わらせて生きるものである」⇒ どんな時間の出来事を考える際にも、現在を生きる自己の生を関与させずにはいられないという本文の趣旨と合致する。
    • d(誤答:論点のすり替え):「科学の一つである物理学は、時間の不可逆性を説明したが、自らが始源に立ち会うという矛盾をおかしている」⇒ 物理学の論理的矛盾を批判することが筆者の目的ではない。
  • 結論正答:c

問九:反語表現の論理的解読(「時間の死」)

  • 手順1(設問要求)傍線部9「『わたし』の立ち会っていないような『時間の死』を、だれが想像することができるだろうか」という反語表現の真意を問う設問である。
  • 手順2(反語構文の平叙文への変換)「〜だれが想像することができるだろうか(いや、だれも想像することはできない)」という反語を平叙文へ変換する。 ⇒ 「『わたし』が立ち会わないような時間の死を、本当の意味で想像することはできない。」
  • 手順3(論理整理:生きた関与と時間の持続)人間が時間について考える限り、そこには常に思考する現在の「わたし」が関与している。したがって、人間が現実に関わりながら生きている限り、その人にとっての「生きた時間」も存在し続けることになる。
  • 手順4(選択肢の照合と誤答フレーズの排除)
    • a(誤答:意味の過剰な拡大):「時間とは過去と未来への関わりと共に存在するのであって、その限りですべての時間の中の出来事に関与できる」⇒ 出来事を想像する際に自己との関係が生じることと、すべての出来事に実際に関与できることとは別である。
    • b(誤答:勝手な定義づけ):「科学は時間を物体的に考えるが、このような現実から遊離した生き方こそ時間の死というべき事態である」⇒ 本文における「時間の死」は時間の完全な消滅を指しており、科学的な生き方を批判する語ではない。
    • c(誤答:本文の論理からの逸脱):「この世の終わりが来て、人間が一切消滅してしまっても生き残る人間は存在するから、時間はむしろ不死である」⇒ 本文は「人間が消滅しても生き残る人間がいる」とは述べていない。人類絶滅後を想像するときにも、現在の「わたし」が仮想的に立ち会ってしまうという話である。
    • d(正答):「人間のこころとは時間の流れそのものであるから、人間が現実に関わりつつ生きる以上は、時間は生き続ける」⇒ こころと時間の結びつき、および現実への関与が続く限り生きた時間も続くという本文の結論を正しく論理化している。
  • 結論正答:d

問十:本文内容合致(長文選択肢の精査)

  • 手順1(設問要求と指定条件)本文の内容と一致するものを、a〜fの中から「2つ」選ぶ。
  • 手順2(各選択肢の検証と消去プロセスの言語化)
    • a(正答):「形のあるものは、人間にあって、事物の理解や文明をもたらした意義があるが、しかし本当に大切なものとは形のないものである生き生きとした現在の時間である。」 ⇒ 科学的知の意義を認めつつ、そこから取りこぼされてきた「形なき生きた時間」の重要性を示す本文全体の論旨と一致する。
    • b(誤答:過剰な断定トラップ):「それを忘却させた科学を反省し必ずや乗り越えて、自己を取りもどすことができる。」 ⇒ 本文は新たな知の次元の必要性を示唆しているが、「必ず乗り越えられる」と確実な克服まで断定してはいない。
    • c(誤答:因果関係の捏造・義務の付加):「それらは逆に人間を『ザマニ』に追いやっており、……すべての時間のあらゆる場に立ち会わねばならない。」 ⇒ 科学が人間をザマニへ追いやるという因果関係は本文にない。また「立ち会わねばならない」という倫理的義務も述べられていない。
    • d(誤答:因果関係の捏造トラップ):「人間は、離人症患者のように、科学のおかげで自己を見失いがちであるから」 ⇒ 科学が離人症の原因であるかのような因果関係は本文に存在しない。離人症は時間と現実感を考える契機として挙げられているにすぎない。
    • e(誤答:目的のすり替えトラップ):「新しい知の次元と生きた時間を目指して患者に対処して行く必要がある。」 ⇒ 筆者は患者への治療や対処法を論じているのではなく、人間のこころと時間一般の本質を考察している。
    • f(正答):「人間は、『まだない』と『もうない』をつなぐ生きた現在を生きており、いわば『ササ』におけるような様々な事物に関与する生を生きている。」 ⇒ 過去(もうない)と未来(まだない)の基点である現在を生き、事物に関与しながら生きるという本文終盤の主張と完全に合致する。
  • 結論正答:a・f

授業ではここまで扱う:抽象評論で見る「対象化できるもの」と「生きられるもの」

実際の授業では、単に各設問の正誤を確認するだけでなく、本文に次々と登場する一見多様な具体例が、全体の論理展開の中でどのような役割を果たしているのかを整理する。

抽象度の高い評論文では、精神病理、西洋哲学・科学、異文化の時間観、宇宙論といった異なるトピックが登場するため、初見では話題が飛んでいるように見えやすい。しかし、それらは、本文の中心にある「対象化された知」と「現実に関与する生きた実感」の問題を、それぞれ異なる角度から深める役割を果たしている。

本文における具体例の役割

話題本文での役割
離人症患者「理解できるのに実感できない」という問題の提示。
西洋古代以来の知・科学なぜ「形のない、生きた実感」を捉えにくかったのかという背景の説明。
ササ/ザマニ生きた関係の中にある時間という概念の具体化。
ビッグバン・人類絶滅の想像時間と現在の「わたし」を完全に切り離せないことを示す極端な例による検討。

初見の抽象評論で使える5段階の読解手順

  1. 最初に置かれた対比を見つける本問であれば「頭では分かる(認識)」↔「本当にそこにあると感じる(実感)」である。この最初の対比が以後の議論の土台となる。
  2. 同じ対比が別の言葉で繰り返されていないかを見る本文では、「理解できる/現実感がない」「時計の時間/生きた時間」「形のあるもの/形のないもの」「客観的対象/現実への関与」と、語を変えながら同じ問題設定が深められていく。難しい概念が登場しても、それまでの対比や問題設定とどのような関係にあるのかを確認しながら読み進める。
  3. 具体例の役割を確認するアフリカの「ササ/ザマニ」や「ビッグバン」は、独立した知識として語られているのではない。「直前までのどの問題・概念を具体化するための例なのか」と戻して位置づける。
  4. 筆者の批判の射程を広げすぎない対象化された知が捉えにくい領域を論じているからといって、「科学は誤りだ」「科学を捨てるべきだ」といった極論へ短絡させない。本問でも筆者は、対象化された知の死角を問題にしているのであり、科学そのものを全面否定してはいない。
  5. 長い選択肢はフレーズ単位で検証する本問のような長い選択肢では、前半が本文と合致していても、後半の動詞や修飾語によって本文から逸脱する場合がある。文節ごとに分解し、本文の叙述と合致しない語句を特定して消去する。

本問に見られる主な誤答パターン

誤答パターン本問における具体例
主客関係の逆転問八a:自己が関与してしまう話を「客観的観察者を想定できる」と逆転させる。
過剰な断定問十b:「科学を反省し必ずや乗り越えて自己を取りもどすことができる」。
因果関係の逆転・義務化問四d:本文の「形のないものの忘却→科学の成立」を「科学的思考→忘却」と逆転させ、さらに「目指さねばならない」と義務化する。
因果関係の捏造問十d:「科学のおかげで自己を見失いがちである(科学が離人症の原因)」。
射程の不当な縮小問三c:人間一般の時間論を「離人症の解明につながる」と限定。
主体のすり替え問三b:筆者の考察を、患者自身の「新たな時間を発見する」とすり替え。
全面否定への誇張問四c:新たな知の模索を「全く別の知の次元」と過剰に対立化。

難解な本文に直面した際にも、「どの対比軸に基づいて本文を整理し、選択肢のどのフレーズに着目して誤答を排除するか」という客観的な処理手順を維持することが重要である。

2013年度大問1から確認できる現代文の対策と復習手順

この大問では、精神病理学的な事例から時間と人間の存在を考える抽象度の高い評論文を正確に構造化し、長文選択肢のトラップを見分ける客観的読解力が要求された。本問を復習する際は、次の4点を確認しておきたい。

  1. 対比の軸を意識して段落の内容を整理する抽象概念が連続する文章では、個々の言葉をそのまま追うのではなく、「対象化・識別できる側」と「生きた実感として経験される側」という対比を軸にして、各段落の論点がどのように位置づくかを整理しながら読む。
  2. 複数の具体例が果たす役割を前後の抽象論から逆算する離人症、科学史、アフリカの時間観、宇宙の始まりなど、異なる領域の話題が登場した際、それらを独立した話として読まない。「直前のどの主張を説明するために導入された例なのか」を意識して読む習慣をつける。
  3. 長文選択肢は文節単位で本文と照合する本問のような長い選択肢では、前半が本文の記述と合致していても、後半の動詞や修飾語に「過剰な断定(必ず)」や「無根拠な因果(〜のせいで)」が含まれている場合がある。選択肢をいくつかのパーツに分解し、本文の根拠と合致しない語句を特定して消去する手順を徹底する。
  4. 反語や比喩は平叙文の論理に直して捉える問九の反語(「だれが想像することができるだろうか」)や問八の比喩(「見物人」)のように、修辞的な表現が設問の急所となる。感覚的な印象で処理せず、「肯定なのか否定なのか」「主客のどちらを言おうとしているのか」を平叙文の論理へ言い換えて判断する。
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この記事を書いた人

千葉県・習志野市を拠点とする「習志野受験研究所」所長。10年以上の指導現場から得た知見をもとに、全国の入試問題を分析・発信しています。

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