言語獲得の過程と他者承認をめぐる論理を捉える
随筆やエッセイ形式の文章を読解する際、単なる筆者の体験談や感情の吐露として受け止めてしまうと、設問の客観的な根拠を見落としやすくなる。重要なのは、具体的な体験や回想が、筆者の気づきや考察へどのようにつながっているかを捉えることである。本問でも、筆者の生活体験を起点として、「言語と内面」「言葉を通じた他者とのつながり」といった問題へと考察が深められていく。
2025年度の愛知県公立高校入試・国語の大問3で出題された小島慶子の『インチキ英語の高い壁』(『ベスト・エッセイ2016』所収)は、オーストラリアで英語を十分に使いこなせない筆者のもどかしさから筆を起こしている。その不全感を出発点とし、幼少期に日本語の文字や言葉を獲得した際の視界の開け方、オーストラリアで育つ二人の息子の対照的な言語獲得過程、そして言語活動の根底にある「自分の存在を認めてほしい」という他者承認への願いへと考察が展開されている。
文章の筋を追って共感するだけでは、指示語の手がかりによる文挿入、比喩表現の客観的換言、複数人物の状況照合、心境の変遷、修辞技法の識別といった設問を正確に処理することは難しい。本文中のどの語句を手がかりとし、どのような順序で正答を導くかという客観的な思考手順が必要である。本稿では、各設問の解法手順に基づき、2025年度愛知県大問3の全問について、その解法プロセスを分解・明示する。
『インチキ英語の高い壁』(小島慶子)の要約と論理構造
本文は、筆者自身の現在・過去の体験と二人の息子の状況を交差させながら、「言葉を身につけること」の本質を掘り下げていく構造を持つ。
- 論理の全体構造
- 第1段落〜第3段落(オーストラリアでの英語体験ともどかしさ)移住後、学校英語の知識だけで生活する筆者は、頭の中の思考を英語で即座に表現できず、自分が鈍く内気な人間のように見えてしまうもどかしさに直面する。十分に自分を表現できない「不全感」が、自尊心を傷つけていく様子が語られる。
- 第4段落〜第5段落(言葉の苦しみの一般化と幼少期の言語獲得)筆者は、言葉による苦しみは外国語だけに限らず、日本語でも、自分の内面を言葉としてうまく外に出せないときに生じると考える。そこから小学三年生のころを振り返り、本を飛ばさず読め、大人の会話の意味を追えるようになった瞬間を回想する。それまでのぼんやりした世界から、意味を明確に捉えられる世界へ移り、自分が世界に受け入れられたと実感した体験が語られる。
- 第6段落〜第7段落(二人の息子の対照的な言語体験)母語である日本語を一度身体化した後に心身の成長と英語習得が重なる長男と、日本語も英語もまだ完全には自分の言語としていない段階にある次男という、二人の異なる言語体験を観察する。
- 第8段落〜第9段落(他者承認の問いと他者とのつながり)英会話教師からの「自分について最も他人に知ってほしいことは何か」という問いに戸惑いながらも、かつて自分が切望していたのは「あなたは誰?」と尋ねられ、存在を承認されることだったと気づく。どれほど無口な人の心の奥にも、他者とのつながりを待つ部分が存在するという洞察で結ばれる。
筆者・長男・次男という三者三様の言語体験を区別し、言葉を身につけることと、自分の思いを表し、他者とつながることとの関係へ考察が広がっていく構造を捉えておくことが、設問を正確に解く前提となる。
全問解答一覧
| 設問 | 正答 | 選択肢内容・答案 | 形式・条件 |
| (一) | エ | 本文中の〈4〉 | 一文挿入(最も適当な箇所を1つ) |
| (二) | ウ | 文字や言葉を身につけたことで、本の内容や両親の会話の意味を明確に理解できるようになったということ | 比喩表現の説明(最も適当なものを1つ) |
| (三) | イ・ウ・カ | イ(Bさん):子どもの言語獲得 ウ(Cさん):長男の二言語体験 カ(Fさん):三者三様の言語体験 | 本文内容との照合(内容に近いものを3つ) |
| (四) | エ | 自分について語りたいことは何かという英語教師の質問に戸惑って感情が高ぶったが、その質問を切望したかつての自分を思い出し、それが相手の存在を受け入れる問いであることに思い至っている。 | 心境説明(最も適当なものを1つ) |
| (五) | ウ・オ | ウ:倒置法による思いの強さや深さの強調 オ:会話文以外での話し言葉の多用 | 表現上の特徴(適当なものを2つ) |
【大問3】各設問の解答解説と思考手順
(一)一文挿入
- 手順1(設問要求):挿入文「その不全感は、じわじわと自尊心をむしばむ。」が入る最も適当な位置を、本文中の〈1〉〜〈4〉から一つ選択する。
- 手順2(挿入文の分析):挿入文の冒頭にある連体詞を含む表現「その不全感」に着目する。指示語「その」が存在するため、直前の文脈には「何かが十分に機能していない、思い通りにならず欠落感を抱えている状態」が具体的に記述されていなければならない。
- 手順3(各箇所の文脈照合):
- 〈1〉:移住後に一念発起した経緯を述べる文脈であり、不全感の内容がまだ示されていない。
- 〈2〉:強風で物置の屋根が飛びそうになった際の電話対応の再現であり、住居トラブルの描写にとどまる。
- 〈3〉:電話が通じて気分の良さを感じた直後であり、不全感という語句とはつながらない。
- 〈4〉:直前の第3段落末尾において、「日常のちょっとしたことを言うのにも、自分がめちゃくちゃな言葉をしゃべっていると毎度自覚しなくちゃならない」「すごく鈍くて内気な人のようになってしまう」「実に実に悔しい」と、能力が十分に発揮できない苦痛が具体的に述べられている。
- 手順4(挿入後の接続確認):〈4〉の直後(第4段落冒頭)では、「言葉の苦しみは、何も外国語に限ったことではない」と続いており、「英語での不全感と自尊心の低下」から「母語における言語表現の苦しみ」へと一般化する論理の流れが成立する。
- 結論:エ
(二)比喩表現の説明
- 手順1(設問要求):傍線部①「まるで水から上がったような清澄な風景を私に見せた」が表す内容として最も適当なものをア〜エから一つ選択する。
- 手順2(根拠範囲):傍線部①を含む第5段落全体。
- 手順3(論理整理):比喩が用いられている前後の変化(対比)を整理する。
- 変化前(水中にいるような状態):分からない言葉や漢字を前後から推測して読んでいた。大人の会話も「聞きなれた声の塊」であり、意味を正確に追えてはいなかった。
- 変化後(水から上がった状態):本をどこも飛ばさずに読めるようになり、大人の会話も意味を追える言葉として耳に入ってくるようになった。「水から上がったような清澄な風景」とは、視覚的な景色のことではなく、文字と言葉を身につけたことによって、書かれた文章や周囲の会話の意味が明確に理解できるようになった認識の変化を表している。
- 手順4(選択肢の照合):
- ア:「両親との会話が円滑に進むことに安心感を抱いた」とあるが、会話の円滑化への安心感が主眼ではないため不適切。
- イ:「両親の教育のおかげであることに気がついた」とあるが、両親の教育方針への感謝や気付きは本文に記述されていない。
- ウ:「文字や言葉が身についたことで、本の内容や両親の会話の意味を明確に理解できるようになったということ」は、本文の変化の記述と完全に合致する。
- エ:「言葉のすばらしさを発見することができた」とあるが、抽象的な賛美にとどまり、読書や会話の具体的な理解という本文の記述に即していない。
- 結論:ウ
(三)本文内容との照合
- 手順1(設問要求):生徒6人(Aさん〜Fさん)の意見のうち、本文の内容に近いものを3つ選択する。
- 手順2(根拠範囲):第5段落(幼少期の筆者)、第6段落(幼少期の子どもと長男)、第7段落(次男)。
- 手順3(各選択肢の要素照合):
- ア(Aさん・不適切):「両親が話をしている前で本を読むことを続けるうちに……大人の言葉を覚えてしまい」とあるが、両親の前で本を読み続けたことが原因で大人の言葉を覚えたという学習プロセスの因果関係は本文にない。
- イ(Bさん・適切):第6段落に「子どもは、うんと小さい時から大概のことはわかっている」「何がしかの表現を求める意思がある」とあり、言葉を身につける前の直感の世界にいても多くのことを理解しているとする記述に合致する。
- ウ(Cさん・適切):第6段落に、長男は「一度身体化した言葉が、大人へと変化する心身と不適合を起こしている」と同時に「新たな言葉を身体化する最中でもある」とあり、母語の再適応と英語の習得が重複している状況と合致する。
- エ(Dさん・不適切):「外国語を新たに勉強すると、小さい頃に身体化した言葉が大人の言葉として定着しやすくなる」とあるが、外国語学習が母語の定着を促進するという因果関係は本文に書かれていない。
- オ(Eさん・不適切):「人と関係を結ぶことが十分にできない年齢です」とあるが、第7段落では「言葉の不全によって万能感を得ている」「人と関係を結ぶことができる年齢なのだ」と述べられており、本文の記述と正反対である。
- カ(Fさん・適切):筆者(成人後に外国語学習)、長男(日本語身体化後に外国語環境へ)、次男(日本語身体化前に外国語環境へ)という3者の状況の違いを踏まえ、「三者三様の言語体験」と整理しており本文の記述に合致する。
- 結論:イ・ウ・カ
(四)筆者の心境
- 手順1(設問要求):第8段落から読み取ることができる筆者の心境として最も適当なものをア〜エから一つ選択する。
- 手順2(根拠範囲):第8段落全体。
- 手順3(論理整理):第8段落における筆者の心理変化の推移を時間軸で整理する。
- 教師の問い:「あなたについて最も他人に知ってほしいことは何か」と尋ねられる。
- 初期反応:「そんなもんないってば!」と戸惑い、いらだち(感情の高ぶり)を覚える。
- 過去の回想:現在の自分には話を聞いてくれる場があるが、かつての自分はどうだったかを振り返る。
- 気づき:かつての自分は「私はここにいる! あなたは誰? と尋ねて欲しい。そんなお前でもそこにいていい、と言って欲しい」と切望していたことを思い出す。教師の質問を、単なる語学練習の課題としてではなく、かつて自分が切望していた「自分の存在について尋ねてもらうこと」と重ね、相手の存在を受け入れる問いとして受け止めたことが読み取れる。
- 手順4(選択肢の照合):
- ア:「わかり切ったことを答えさせようとする英語教師の姿勢にじれったさを感じていた」「英語をうまく話せない自分への配慮であると知り」とあるが、教師の意図を配慮と解釈した記述はない。
- イ:「英語教師に不信感を抱いた」「英語力のなさを心配してくれていることに気づき」とあるが、不信感や英語力への心配という文脈ではない。
- ウ:「ふがいなさからいらだちを隠せなかったが、自分に寄り添った質問を……感謝の気持ちを抱く」とあるが、教師に対する感謝の念が中心ではない。
- エ:教師の質問への戸惑いと感情の高ぶり、かつて存在についての問いを切望していた自分への想起、そしてその問いが相手の存在を受け入れるものであるという認識への到達が、本文の論理展開と完全に合致する。
- 結論:エ
(五)表現上の特徴
- 手順1(設問要求):文章の表現上の特徴として適当なものをア〜カから2つ選択する。
- 手順2(根拠範囲):文章全体(修辞法、語彙、文体、構成)。
- 手順3(各選択肢の検証):
- ア:緊迫した場面の臨場感を生み出す擬態語・擬声語の多用は本文の中心的な特徴ではない。
- イ:和語と外来語を対比的に使い分けることで心境変化を表す技法は用いられていない。
- ウ(適当):第9段落では、「きっとあるのだ。……柔らかな部分が。」という語順が用いられている。通常であれば「柔らかな部分が、きっとあるのだ」となるところを、述部「きっとあるのだ」を先に置き、主部「柔らかな部分が」を後置する倒置法を用いている。これにより、他者に受け入れられたいという内面への思いの強さを際立たせる効果を生んでいる。
- エ:オーストラリアでの現在、幼少期の記憶、息子の現在など時間を往還する構成であり、「時間軸に沿って写実的に述べる」構成ではない。
- オ(適当):地の文において「てな挨拶」「すごーく鈍くて」「こんな感じ」「そんなもんないってば!」など、話し言葉に近いくだけた表現が多く用いられている。これにより、筆者がその場で感じた戸惑いやもどかしさなどの率直な感情が読者に直接伝わる効果を生んでいる。
- カ:一つの出来事を複数の登場人物の視点から多角的に描き直す手法は取られていない。
- 結論:ウ・オ
授業ではここまで扱う:指示語の照合による文挿入と複数人物の状況峻別手順
実際の授業では、単に設問の正誤を確認するだけでなく、初見の随筆文において「文挿入問題」や「複数人物の内容一致問題」を論理的に処理できるよう、次の3段階の手順を整理・指導する。
| 処理段階 | 具体的な確認動作 | 本問(2025年愛知・問一/問三)への適用例 |
| 第1段階:指示語・接続語の制約確定 | 挿入文内の指示語(指示対象の先行条件)や接続関係を特定し、直前に存在すべき内容を絞り込む。 | 問(一):「その不全感」から、直前に「能力が十分に発揮できず、もどかしい状態」の記述が必要であると限定する。 |
| 第2段階:登場人物と条件の個別照合 | 複数の対象(人物や時期)が並列されている場合、誰の・どの時期の・どの事象かを分離して表に落とし込む。 | 問(三):筆者(成人・英語)、長男(思春期・二言語の重複)、次男(幼少期・日本語も英語も完全には身体化していない段階)の3者を混同せずに切り分ける。 |
| 第3段階:選択肢の付加・逆転要素の排除 | 本文に書かれていない因果関係の追加や、事実の正反対の記述を選択肢から機械的に検出して排除する。 | 問(三):アの「本を読み続けたから」という原因の付加、オの「関係を結べない」という正反対の記述を排除する。 |
重要なのは、文章の雰囲気に頼って選択肢を眺めることではない。指示語が求める条件を正確に把握し、本文の記述と選択肢の要素を1対1で突き合わせる客観的な照合手順を、別の問題でも再現できるようにすることである。
【愛知県公立高校入試】国語・随筆文の対策と復習手順
本問のような随筆文では、筆者の心情を大まかに追うだけでなく、指示語、比喩、人物ごとの状況、心境の変化、表現技法などを本文の具体的な根拠と結び付けて処理する必要がある。対策においては、以下の客観的な処理手順を反復し、実戦的な解法として定着させることが重要である。
- 1. 指示語を手がかりにした文挿入の論理的解法問(一)のような文挿入では、挿入文を各空欄に当てはめて感覚で読み比べるのではなく、文中の指示語(「その〜」「この〜」など)に注目する。指示語が何を指しているかを特定し、直前の文末と直後の文頭が論理的に無理なくつながる位置を客観的に確定する手順を身につける。
- 2. 複数選択問題における「付加・逆転」の検知問(三)のように「本文に近いものを三つ選ぶ」形式では、正答以外の選択肢に「本文に書かれていない因果関係の追加(ア・エ)」や「本文の記述と正反対の内容(オ)」が含まれる。選択肢の一部分だけを見て判断せず、主語・述語・因果関係の各パーツを本文と照合して排除する。
- 3. 表現技法・修辞法の客観的識別問(五)の表現問題では、倒置法、比喩、文体(話し言葉と書き言葉の混在)などの形式的特徴を正確に見分ける知識が求められる。「何が書かれているか(内容)」と「どのように書かれているか(形式)」を明確に区別し、形式がもたらす効果(強調、率直さの表出など)を論理的に結びつける練習を重ねる。
過去問演習の復習においては、「合っていた・間違っていた」という結果のみにとらわれず、「指示語の指す内容を直前に見つけられたか」「選択肢に紛れ込んだ余計な因果関係を見抜けたか」という手順の再現性を確認することが肝要である。

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