「古典」と「伝統」の多層的な対比と文化的非対称性を捉える
文化論や比較演劇論を主題とする現代文を読解する際、日常語として曖昧に用いられている語句を、自らの先入観や世間一般のイメージで読み進めてしまうと、筆者が構築する独自の論理構造を見失う原因となる。現代文の読解において求められるのは、一見すると同義語のように扱われがちな概念(本問における「古典」と「伝統」)を本文中の文脈に即して厳密に峻別し、それらの対比がどのように深められ、最終的にどのような批評的視座(文化表象における非対称性)へと拡張されていくかを客観的に追跡する力である。
2012年度の上智大学法学部・国語の大問1で出題された渡邊守章の『越境する伝統』は、「古典」と「伝統」という二つの言葉が担う機能の差異を出発点としている。西洋音楽における「クラシック」と日本の「伝統芸能」という身近な語法から筆を起こし、西洋演劇における「古典」が持つ規範性とそれを乗り越えようとする刷新のベクトル、日本の「伝統」が抱える専門的技能集団の閉鎖的身体伝承を対比的に整理する。さらに筆者は、日本芸能が持っていた詞章(テキスト)を通じた庶民的受容を提示することで単純な二項対立を解体し、最終的には、西洋が非西洋を「伝統的・土着的」と一方的に名付けるオリエンタリズムの構造へと論理を広げている。
全11問に及ぶ客観式設問を迷いなく処理するためには、対比関係の正確な把握、文学史・演劇史の知識照合、そして文章終盤における語彙の論理的連鎖を捉える客観的な手順が不可欠である。本稿では、各設問の解法手順に基づき、2012年度上智大学法学部大問1の全問について、その解法プロセスを分解・明示する。
『越境する伝統』(渡邊守章)の要約と論理構造
本文は、分類概念の相対化から始まり、西洋の「古典」、日本の「伝統」の重層性を検証した上で、西洋が非西洋を表象する際の非対称性(オリエンタリズム)へと議論を広げている。
- 論理の全体構造
- 第1局面(分類の自明性への疑義と語の乱用)クラシック音楽と民族音楽を截然と分ける常識に対し、「ベートーベンだって民族音楽なのだ」という主張を引いて、西洋クラシック音楽も特定の土着文化に根ざしていることを示唆する。また、日本の能五流と地方の山伏神楽が海外で一括して「traditional」と括られる例を挙げ、分類用語の適用が文化的な格の違いを不可視化してしまう問題を指摘する。
- 第2局面(西洋における「古典」の機能)フランスのコメディー・フランセーズなどを例に、17世紀の古典主義劇作術が公教育や舞台実践において「規範」として機能してきた制度的背景を分析する。同時に、後代の変革のベクトルがこれらの規範を批判し、乗り越えることによって成立してきたという、規範と刷新のダイナミズムを「古典」が持つ重要な機能として示している。
- 第3局面(日本の「伝統」における身体性と詞章の広がり)西洋の古典がテキストを媒介として広く共有されるのに対し、日本の伝統芸能は専門的技能集団の内部で「人から人へ、身体から身体へ」と伝えられる口伝・秘伝の閉鎖的回路(式楽化、血族的伝承の神話)を持っていた。しかし一方で、能の詞章(謡曲)が寺子屋教材として庶民に浸透したように、実演技能とは別にテキストを通じた広範な「庶民的受容」が存在したことも指摘し、単純な東西二分論を戒める。
- 第4局面(オリエンタリズムと文化表象の非対称性)西洋は自らの舞台芸術を「伝統演劇」とは呼ばず、非西洋型の舞台芸術に対してのみ「伝統」という用語を適用し、そこに「土着的なるもの」「民族的・民俗的」な表象を期待する。この非対称な名付けの態度をエドワード・サイードの「オリエンタリズム」と結び付け、文化の分類概念に潜む一方的な視線を検討して結びとしている。
「古典」と「伝統」の対比構造マトリクス
※以下は本文で対照的に強調される主要な側面であり、両者を完全に二分する定義ではない。
| 比較項目 | 西洋における「古典(クラシック)」 | 日本の「伝統(伝統芸能)」の実態 |
| 伝承の主たる媒体 | テキスト(文字・戯曲・楽譜) | 身体(身体から身体へ、口伝・秘伝) |
| 制度的基盤 | 公教育カリキュラム、コメディー・フランセーズなどの劇場制度 | 専門的技能集団、血族・師弟的な伝承回路 |
| 後代への機能 | 学ぶべき規範 + 批判・乗り越えの対象 | 専門技能の継承・秘儀伝授のアウラ |
| 例外・重層性 | ベートーベン等も土着文化に根ざす | 詞章(謡曲・浄瑠璃)の庶民的・教育的受容 |
オリエンタリズムにおける表象の非対称性
| 比較の視点 | 本文から確認できる事実 | そこから整理できる構図 |
| 西洋社会が自らに向ける視線 | 西洋型の舞台芸術には、通常「伝統演劇」という用語を用いない。 | 西洋型には「伝統」というラベルを付さない。 |
| 西洋社会が非西洋(東洋)に向ける視線 | 非西洋型の舞台芸術に対してのみ「伝統演劇」を用い、「土着的」「民族的」「民俗的」な表象を期待する。 | 非西洋のみを「伝統・土着・民族的」な他者として特別に分類する。 |
全問解答一覧
| 問 | 正答 | 選択肢内容 | 形式・条件 |
| 問一 | b | ベートーベンも西洋の土着の音楽と深く関係している。 | 傍線部の意味(もっとも適切なものを1つ) |
| 問二 | d | 諸外国で、能狂言と山伏神楽の格の違いが理解されないこと。 | 傍線部の意味(もっとも適切なものを1つ) |
| 問三 | a | 近松門左衛門 | 人物補充(もっとも適切なものを1つ) |
| 問四 | b | 「規範となる」 | 語句補充(もっとも適切なものを1つ) |
| 問五 | c | 十七世紀の古典主義劇作術を刷新しようとする方向性。 | 傍線部の意味(もっとも適切なものを1つ) |
| 問六 | a | もっぱら文字媒体によって伝承されていく場合。 | 傍線部の意味(もっとも適切なものを1つ) |
| 問七 | d | 儀式として専門的技術集団の内部に留まっていたこと。 | 傍線部の意味(もっとも適切なものを1つ) |
| 問八 | a | 「庶民的」 | 語句補充(もっとも適切なものを1つ) |
| 問九 | a | 専門的な技能集団における伝承は強固ではあるが閉ざされていた。 | 筆者の見方(もっとも適切なものを1つ) |
| 問十 | d | 「伝統」という用語を東洋世界にあてはめようとする一方的な態度。 | 傍線部の意味(もっとも適切なものを1つ) |
| 問十一 | d | 「非・西洋的」 | 語句補充(もっとも適切なものを1つ) |
【大問1】各設問の解答解説と思考手順
問一 「ベートーベンだって民族音楽なのだ」の意味
- 手順1(設問要求):傍線部1「ベートーベンだって民族音楽なのだ」とはどういう意味か。最も適切なものをa〜dから一つ選択する。
- 手順2(根拠範囲):第1段落の該当部周辺。
- 手順3(論理整理):
- 直前では、世間一般が「クラシック音楽(普遍的とされるもの)」と「民族音楽・民俗芸能(特定の地域・集団に限定されるもの)」を厳密に区別している常識が示されている。
- これに対して「ベートーベンだって民族音楽なのだ」と主張する音楽学者の意図は、ベートーベンの作品を通常の音楽分類で民族音楽に分類し直すことではなく、「西洋のクラシック音楽もまた、西洋という特定の文化的・歴史的文脈に根ざしたものでもある」という視点を提示し、クラシック音楽に付与された絶対的な普遍性を相対化することにある。
- 手順4(選択肢の照合):
- a:作品内の「民族的な音楽性の含有量」を問題にしているわけではないため不適切。
- b:「ベートーベンも西洋の土着の音楽と深く関係している」は、クラシック音楽の土着性を指摘して二項対立を崩す文脈と合致する。
- c:日本の芸能との類似性には言及されていない。
- d:ベートーベン個人の作風の多様性を論じる文脈ではない。
- 結論:b
問二 「問題は先鋭化する」とはどういうことか
- 手順1(設問要求):傍線部2「問題は先鋭化する」とは、この場合どういうことか。最も適切なものをa〜dから一つ選択する。
- 手順2(根拠範囲):第2段落の傍線部2前後。
- 手順3(論理整理):
- 日本側では、五流の能と地方の神楽を同格には扱えないという差が意識されている。
- しかし、これらを諸外国へ巡業に持ち出すと、招く側(外国)はどちらも等しく「traditional」という一語で括って受容してしまう。
- 日本側が自明視している両者の格式の差異が、外部の分類概念によって無効化され、認識されなくなる事態を「問題は先鋭化する」と表現している。
- 手順4(選択肢の照合):
- a:「同等に賞賛される」という価値判断は本文に書かれていない。
- b:「同様に軽く見られる」という卑下の記述もない。
- c:外国側が違いを知った上で「受け入れない」のではなく、そもそも「違いが認識されない」ことが問題であるため不適切。
- d:「諸外国で、能狂言と山伏神楽の格の違いが理解されないこと」は、本文の記述と合致する。
- 結論:d
問三 空欄3に入る人物
- 手順1(設問要求):空欄[ 3 ]に入る人物として最も適切なものをa〜dから一つ選択する。
- 手順2(根拠範囲):第3段落「一六八〇年の日本では、まだ[ 3 ]が出るか出ないかという時期なのだし、歌舞伎にしても、創成期の混沌の中にあった。」
- 手順3(文学史・演劇史の照合):
- 基準年代は「1680年(江戸時代前期・元禄期前夜)」。
- 文脈は「歌舞伎」「劇作」を中心とする近世演劇史の胎動期。
- 近松門左衛門(1653〜1724年):江戸時代前期、元禄期を中心に活躍した劇作家。1680年代半ばから浄瑠璃作者として台頭し、1680年前後という本文の時代に最も適合する。
- 井原西鶴(1642〜1693年):同時代人であるが、中心分野は浮世草子・俳諧であり、劇作・歌舞伎史という文脈には近松が適切である。
- 鶴屋南北(四世、1755〜1829年):江戸時代後期、化政期を代表する歌舞伎作者であり、1680年より100年以上後である。
- 河竹黙阿弥(1816〜1893年):幕末から明治期にかけて活躍した歌舞伎作者であり、さらに時代が後である。
- 結論:a
問四 「古典的」とはどのような作品か
- 手順1(設問要求):空欄[ 4 ]に入る語句として最も適切なものをa〜dから一つ選択する。
- 手順2(根拠範囲):第4段落「辞書学的におさらいをしておくならば、『古典』あるいは『古典的』とは、[ 4 ]文芸の作品を言うのであり……」および後続する文脈。
- 手順3(論理整理):
- 空欄の直後では、「公教育のカリキュラムに組み込まれる」「中等教育終了資格試験に合格する」「戯曲を書くための規範として制度化された」と具体的に説明されている。
- つまり、ここでの「古典」とは単に古い作品を指すのではなく、後代の人間が手本とし、参照し、学習すべき基準(モデル)となる作品を意味する。
- 手順4(選択肢の照合):
- a「伝承される」:伝統の側で強調される要素であり、ここでの古典の中心的定義ではない。
- b「規範となる」:後続のカリキュラム化、作劇術の規範という記述と完全に合致する。
- c「歴史的な」:単なる古さを指す語であり、規範性を表せない。
- d「専門知の」:公教育で社会的に広く共有されるという文脈と矛盾する。
- 結論:b
問五 「変革のベクトル」の意味
- 手順1(設問要求):傍線部5「変革のベクトル」とは、この場合どういう意味か。最も適切なものをa〜dから一つ選択する。
- 手順2(根拠範囲):第4段落末尾「だからこそ、変革のベクトルは、これらの『古典』に批判の矛先を向け、あるいはそれらを乗り越えることで、成立してきたのであった。」
- 手順3(論理整理):
- 「ベクトル」とは方向性を意味する比喩である。
- 直前で、17世紀の古典主義劇作術が絶対的な規範として定着したことが述べられている。
- 「だからこそ」に続く文脈では、新しい表現や変革を目指す力学が、既存の規範(古典)を批判し、それを乗り越えて刷新しようとする方向へ向かうことが説明されている。
- 手順4(選択肢の照合):
- a:公教育からの排除を目指しているわけではない。
- b:規範を活用・応用する方向は、変革ではなく墨守・継承である。
- c:「十七世紀の古典主義劇作術を刷新しようとする方向性」は、「批判の矛先を向け、あるいはそれらを乗り越える」という本文の記述を的確に言い換えている。
- d:音楽やバレエのクラシック偏重の是正は論じられていない。
- 結論:c
問六 「テクストが全面的に担っている」の意味
- 手順1(設問要求):傍線部6「テクストが全面的に担っている」とはどういう場合か。最も適切なものをa〜dから一つ選択する。
- 手順2(根拠範囲):第5段落「人から人へと、身体から身体へと伝えられて行く伝承のほうが、伝承の役割をテクストが全面的に担っている場合よりも、強固でさえあるだろう。」
- 手順3(論理整理):
- ここでは「身体による伝承」と「テクストによる伝承」が明確に対比されている。
- 「テクスト」とは記号化され、固定された文字媒体(本・戯曲・楽譜など)を指す。
- したがって、テクストが全面的に伝承を担うとは、生身の人間の身体的接触ではなく、書記言語・文字資料を通じて知識や作品が受け継がれることを意味する。
- 手順4(選択肢の照合):
- a:「もっぱら文字媒体によって伝承されていく場合」は、「身体から身体へ」の対比項として過不足なく適合する。
- b:「公教育」は制度の例示にすぎず、テクストという媒体そのものの説明ではない。
- c:「机上の専門知」という価値判断を含んだ表現は不適切。
- d:「口伝」はまさに「身体から身体へ」の伝承様式であり、テクストの対極である。
- 結論:a
問七 「式楽として閉ざされてしまった」とはどういうことか
- 手順1(設問要求):傍線部7「式楽として閉ざされてしまった」とはどういうことか。最も適切なものをa〜dから一つ選択する。
- 手順2(根拠範囲):第5段落〜第6段落。
- 手順3(論理整理):
- 「式楽」とは幕府などの公的儀式において用いられる芸能を指す。
- 第5段落では、伝統芸能における専門知が「専門的な技能集団の内部の問題に留まっていて、社会的に広く共有されているものではない」ことが述べられている。
- 江戸時代に能が幕府の式楽となったことで、その実演技術は一般社会から切り離され、特定の専門技能集団の内部に限定・固定化されたことを指している。
- 手順4(選択肢の照合):
- a:「式」を「形式的」と取り違えており誤読。
- b・c:第6段落で、能の詞章は寺子屋の教材として庶民に広く受容されたと述べられているため、「詞章が共有されなかった」「寺子屋で行き渡らなかった」とする選択肢は本文の記述と矛盾する。
- d:「儀式として専門的技術集団の内部に留まっていたこと」は、式楽の性格と集団内部への閉鎖性を両方正しく捉えている。
- 結論:d
問八 空欄8に入る語句
- 手順1(設問要求):空欄[ 8 ]に入る語句として最も適切なものをa〜dから一つ選択する。
- 手順2(根拠範囲):第6段落末尾「歌舞伎の台詞や人形浄瑠璃の詞章についても、そのような[ 8 ]受容は、もっと注目されてもよいはずであった。」
- 手順3(論理整理):
- 指示語「そのような」の先行文脈を確認する。
- 直前には「能の詞章が庶民のあいだで生き続けた」「寺子屋での教材に、謡曲の抜粋が用いられ、こうした受容の回路を伝って……」とある。
- 専門集団の閉鎖的実演とは対照的に、一般民衆・庶民層の間でテキストとして親しまれた受容のあり方を指している。
- 手順4(選択肢の照合):
- a「庶民的」:直前の「庶民のあいだで生き続けた」「寺子屋」という語句と合致する。
- b「古典的」:受容の社会層を問う文脈に合わない。
- c「専門的」:専門家の内部回路とは逆の事象を指しているため不適切。
- d「美学的」:受容層の広がりを示す文脈に合わない。
- 結論:a
問九 「秘儀伝授のアウラ」「〈血族的伝承の神話〉」が示す筆者の見方
- 手順1(設問要求):傍線部9・10の「秘儀伝授のアウラ」「〈血族的伝承の神話〉」という表現に反映されている筆者の見方として最も適切なものをa〜dから一つ選択する。
- 手順2(根拠範囲):第7段落「口伝あるいは秘伝といった、閉鎖的な『伝承』の回路によって可能になっていたに過ぎない。『伝統芸能』あるいは『伝統演劇』という、近代化の発明になる用語が、多かれ少なかれ『秘儀伝授』のアウラをもって見られ、あるいは語られてきた謂れもそこにある。親から子へ、子から孫へ、と言った、〈血族的伝承〉の神話を支えているのも、まさにこの文脈であった。」
- 手順3(論理整理):
- 「秘儀伝授のアウラ(神秘的な威光)」や「〈血族的伝承〉の神話(親から子へ途絶えず継承されるという観念)」は、技能が特定の閉鎖的集団の血縁・師弟関係の内部でのみ厳重に受け継がれてきた実態から生み出されたイメージである。
- 筆者はこれらを客観視しつつ、その背景にある「強固でありながら外部に対して閉ざされた伝承の構造」を指摘している。
- 手順4(選択肢の照合):
- a:「専門的な技能集団における伝承は強固ではあるが閉ざされていた」は、本文の「閉鎖的な『伝承』の回路」という指摘と合致する。
- b:古典が広く共有されたことの説明ではなく、伝統の閉鎖性の描写であるため不適切。
- c:世阿弥系の謡曲の価値は第6段落の話題であり、傍線部の「秘儀」「血族」の説明ではない。
- d:和歌や王朝文学の規範性とも文脈が異なる。
- 結論:a
問十 「サイード的な意味での『オリエンタリズム』」
- 手順1(設問要求):傍線部11について、筆者は「サイード的な意味での『オリエンタリズム』」という語句でどのような指摘をしているか。最も適切なものをa〜dから一つ選択する。
- 手順2(根拠範囲):第8段落(最終段落)全体。
- 手順3(論理整理):
- 筆者は、西洋社会が自らの舞台芸術には「伝統演劇」という語を使わず、非西洋型の舞台芸術に対してのみ「伝統演劇」という用語を当てる非対称性を指摘する。
- そして、その背景には西洋側が非西洋に対して「土着的なるもの」「民族的・民俗的なるもの」という幻想を一方的に投影し、期待する態度があると論じている。
- サイードの議論を踏まえて一般化すると、「オリエンタリズム」とは、西洋が自己を進歩的・普遍的な基準に置く一方、東洋(非西洋)を「伝統的・土着的・民族的」な他者として一方的に定義・表象する非対称な態度を指す。
- したがって、筆者の指摘は「西洋が自己の枠組みから、東洋世界に対して一方的に『伝統』というカテゴリーをあてはめようとする態度」を批判したものである。
- 手順4(選択肢の照合):
- a:「用語の誤用」にとどまる問題ではなく、文化的な非対称性が論点であるため狭すぎる。
- b:西洋にのみ古典があるとする先入観ではなく、非西洋に伝統をあてはめる態度が論点である。
- c:西洋の「優位性そのもの」を肯定的に述べているのではなく、その一方的な表象態度を問題視している。
- d:「『伝統』という用語を東洋世界にあてはめようとする一方的な態度」は、本文終盤の論証と完全に合致する。
- 結論:d
問十一 空欄12に入る語句
- 手順1(設問要求):空欄[ 12 ]に入る語として最も適切なものをa〜dから一つ選択する。
- 手順2(根拠範囲):第8段落末尾「そこには、公然と口にはしないものの、西洋社会の側からの、『土着的なるもの』への幻想に裏打ちされているから、こうした『伝承』の知は、出来るだけ[ 12 ]な、つまり『民族的』あるいは『民俗的』な表象であることが望ましい。」
- 手順3(論理整理):
- 直前では、西洋型の舞台芸術には「伝統演劇」という語を用いず、非西洋型にのみこの語を用いるという対比が示されている。
- さらに非西洋には「土着的なるもの」「民族的」「民俗的」な表象が期待されている。
- したがって、同格表現「つまり『民族的』あるいは『民俗的』な表象」に導かれる空欄には、「西洋的ではない」という意味を持つ語が入る。
- 手順4(選択肢の照合):
- a「非・土着的」:本文では土着的なものが期待されているため正反対。
- b「非・技能的」:技能の有無は関係ない。
- c「非・東洋的」:西洋側が求めているのは東洋的なるもの(民族的・民俗的)であるため逆方向。
- d「非・西洋的」:「非西洋型」→「土着的」→「民族的・民俗的」という本文の語彙連鎖と完全に一致する。
- 結論:d
授業ではここまで扱う:概念対比の重層化と文化表象の非対称性を見抜く手順
実際の授業では、単に1問ごとの正誤を確認するだけでなく、本問のような抽象度の高い評論文において「既存の概念の相対化や再検討」「文化表象の非対称性」を論理的に処理できるよう、次の3段階の手順を整理・指導する。
| 処理段階 | 具体的な確認動作 | 本問(上智大・問一〜問十一)への適用例 |
| 第1段階:日常語の再検討と二項対比 | 一般に混同されがちな二概念(AとB)を、筆者の定義に即して峻別する。 | 「古典(テキスト・公教育・規範)」と「伝統(身体・閉鎖集団・秘儀)」の対比軸を確定する(問四・問六)。 |
| 第2段階:対立項の交差・重層性の検証 | 単純な「西洋=A/日本=B」の図式化にとどまらず、双方が抱える例外や交差関係を捉える。 | 西洋音楽の土着性(問一)や、日本芸能の詞章が持った庶民的受容(問七・問八)を検出する。 |
| 第3段階:表象の非対称性(名付けの力学)の同定 | 「誰が・誰を・どのような枠組みで名付けているか」という視線の非対称性を抽出する。 | 西洋が非西洋にのみ「伝統・民族的」の枠をあてる一方性を捉える(問十・問十一)。 |
重要なのは、語句の意味を辞書的に暗記して当てはめることではない。筆者が文章の展開を通じて、どのように既存のカテゴリーを問い直し、どのような力関係の構図を浮き彫りにしているかを、語彙の呼応関係から客観的に割り出す手順を定着させることである。
【2012年度上智大学法学部・大問1から整理する】国語・現代文の対策と復習手順
本問では、比較文化論を素材として、細部の語句理解と文章全体の構造把握の双方が求められている。対策においては、以下の客観的な処理手順を反復し、実戦的な解法として定着させることが重要である。
- 1. 日常語の再定義に対する精密な追跡問四の「古典」や問九の「伝統」のように、日常的に使われている言葉を、筆者がどのような理論的枠組みで捉え直しているかを正確に追う。本文中の対比表現(「〜ではなく、むしろ……」「〜に対して」)を手がかりとし、筆者独自のカテゴリー分類を正確に整理する習慣をつける。
- 2. 本文理解と文学史・演劇史の基礎知識の連動本問の問三のように、本文理解と文学史・演劇史の基礎知識を組み合わせて処理する設問もある。主要な作者・作品について、単なる作品名の暗記にとどまらず、「元禄期(近松・西鶴)」「化政期(南北)」「幕末・明治期(黙阿弥)」といった時代軸とジャンルの対応関係を整理しておく。
- 3. 批評理論(オリエンタリズム等)の概念把握問十・問十一で扱われたオリエンタリズムのような概念について基本的な背景知識があれば、本文の抽象的な議論を整理しやすくなる場合がある。用語の丸暗記ではなく、「一方が他方を一方的に枠組みにはめ込んで表象する非対称な視線」といった抽象的な構図として理解しておくことが、文章全体の論理を素早く把握することにつながる。
過去問演習の復習においては、「選択肢の正解・不正解」にとどまらず、「本文中のどの対比関係から誤答選択肢が排除されたのか」「文章終盤の結論部が冒頭の問題提起とどのように論理的に接続しているか」を精密に検証することが肝要である。

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